外濠電車唱歌 

(中川柳涯 作歌、 深谷白川 作曲)  明治38年10月発行


 






 1・君の御稜威(みゐづ)は千代八千代 環(たまき)の如くはてしなく 
     栄ゆる御代を外濠の 線は祝ふて廻るなる

 2・濠の彼岸(あなた)に建並ぶ 西洋建や破風造り 
    右手の町は尾張町 銀座通りと知られける

 3・行手をよぎる青色の 電車はこれぞ街鉄の
    日比谷を指して急ぎゆく 交叉の点の数寄屋橋
 4・左に見ゆる鍜治橋を 渡りて行けば馬場先の
    御門の中に二重橋 雲井の空に打懸(うちかか)る
 5・門をば入りて左なる 廣場に立てる銅像は
    國を守りの忠臣と 今名を残す正成公
 6・思へば建武のその昔 逆臣高時横暴の
    振舞いとど多かるに 醍醐の帝召し給ふ
 7・召しに応じて正成は 心の誠現はして
    君の御爲と西南 賊徒を打ちて夷げぬ
 8・されど再び尊氏の 叛に我策容れられず
    忠義の鑑後の世に 残して逝きし湊川
 9・七重八重洲の橋過て 轟と渡る呉服橋
    傍に(かなへ)に高く雲凌(しの)ぐ 日本銀行厳し
10・千歳変らぬ常盤橋 其名床しき鎌倉の
    河岸に漣(さざなみ)打ちよせて 岸の石垣苔深し
11・印刷局の煙突に 淡く懸れる晝の月
    近衛騎兵の営所にも 程遠からぬ神田橋
12・君の御爲と武夫(ますらを)が 命捧げて戦場(いくさば)に
    擧(あ)げし勲功(いさほ)の数々を 擔(にな)ひて帰る錦町
13・譽は末の世々迄も 流れて尽きぬ小川町
    招く柳の下影を 往来(ゆきこ)ふ人のいと多し
14・秩父甲斐が根遥かにも 見えて名に負ふ駿河臺(台)
    登りつめたる今此處は 音に聞えしお茶の水
15・数丈も高き橋の上に 立て東しを眺むれば
    神田、浅草、日本橋 下谷、本所も唯一目
16・下逝く水に早舟の 聲(こえ)面白き櫓拍子は
    都をよその眺めにて 帰さの程の忘らるゝ
17・左の森は教育の 爲にと開く図書館や
    博物館の建てるあり 続くは高等師範校
18・近きわたりに鎮座(いっき)ます 神田明神伏し拝み
    名残尽きせぬ名所をば あとに残して進み行く
19・川に彼方の甲武線 電車の態(さま)は変れども
    景色損ねぬ爲にとて 煙吐かぬぞ頼もしゝ
20・湯島5丁目元町を 過ぐる彼方に黒煙
    空を掩(おほ)ひて立ち昇り 汽笛の聲の喧しゝ
21・此處ぞ世界に名を得たる 日本武士(やまとおのこ)が腰に佩く
    太刀や剣を打鍛ふ 砲兵工廠それなれや
22・空に掩ふの黒煙は 軈(やが)て世界に我々が
    勢力(ちから)遍(あま)ねく延布(のべし)かん 幸先祝ふ兆ぞや
23・絶えぬ汽笛の其聲は軈(やが)て世界に我々が
    さとしを示し皆人を 導く聲と聞ゆなる
24・松の梢に鶴巣ひ 池の巌に亀遊ぶ
    長閑(のどか)はいとど桃源の さまにも似たる後楽園
25・昔の名をば其侭に 今猶(いまなお)残す江戸川の
    流れは尽きず岸の辺に 柳桜のこきまぜる
26・紺青のべし如くなる 濠の彼方の提(どて)の上
    千歳を経たる老松の 枝を交へて雲凌ぐ
27・国の栄えはつぎつぎに 弥増しゆきて限りなく
    栄ゆる御代を神かけて 祈りて囃す神楽坂
28・斯る芽出度(めでたき)大御代に 生れて深き御恵(みめぐ)みに
    逢坂下の濠の水 尽きぬ我身の楽しけれ
29・新に出来し見付をば 入りて此處は國の爲
    君に命を捧げて し英魂祀る靖國社
30・命はよしや櫻木の 花と散りても後の世に
    残す名誉は千代八千代 萬代迄も耀かん
31・譽のあとを残すなる 遊就舘の品々は
    誠の武士が面影を 留めて坐(そぞ)ろ気も勇む
32・我日の本の武夫(ますらお)が 武運の程を祈るなる
    此處よ市ヶ谷八幡宮 階段(きざはし)古りて苔深し
33・近き邉の岡の上 國を守りの武夫(もののふ)が
    二つの道を朝夕に 勵(励)む陸軍士官校
34・本村町も早過ぎて 四谷見附に来て見れば
    街鉄電車と共用の 線路はいとど煩は
35・漸く此處を乗切て 進む右手は畏(かしこ)くも
    天皇(すめらみこと)が離宮なる 赤坂御殿と知れける
36・左の方を眺むれば 碧も深き濠の面(も)に
    漣寄せて老松の 梢に楽の音を絶ず
37・青山御所を遥拝し 下る紀井國坂の下
    雲かあらぬか白栲(しろたへ)に 咲も揃はぬ櫻花
38・散りて惜まぬ武士(もののふ)が 営所を近く高臺に
    眺めて又も街鉄の 線路を過り進みゆく
39・左に茂る木立こそ 月雪花の眺めをば
    併せ具(そな)ふる星が岡 袖ふりはへて人ぞ訪ふ
40・鎮座(いっき)まします日枝神社 神の霊験(ちから)も顕著(あらたか)に
    打振る鈴の音絶えず 朱塗りの楼の神(かん)さびる
41・氷川神社に参拝し 演伎座前を過ぎ行けば
    右に左に國々の 國旗は風に翻へる
42・學の業をいそしみて 深く心に溜池の
    何時かは國や人の爲め 尽さん時に葵橋
43・琴平神社の御護りを 祈りて此處は虎の門
    右に議事堂左には 諸国の公使舘のあり
44・海軍省や外務省 次に並びて司法省
    陸軍省も程近く 雲を凌ぎて建並ぶ
45・大路の彼方濠のべに 建てる櫻田御門こそ
    昔万延元年に 井伊の斬られし所なれ
46・思へば今や我國も 世界の國と肩並べ
    劣りなき迄進みしが あれは當時(そのかみ)如使(いか)なりし
47・浦賀の沖に黒船の 入りとし聞て今更に
    上を下への物騒ぎ 三百諸公色もなし
48・時の大老直弼は 文武の道に暗からず
    到底(とても)開かで止ぬべき 諸国の状(さま)を見極めぬ
49・開かで止(やま)ぬものならば なまじ躊躇(たゆたひ)爲んものと
    英断此に定まりて 五港を終(つひ)に開きけり
50・斯て集る終怨に 上巳の節会(せちえ)降る雪の
    消ゆるも待たで有村が 刃の下に散る命
51・散りし命は返えらねど 汝が英断に開けゆく
    御國の花の櫻花 散りて甲斐ある命かな
52・海軍省を横に見て 進む左に春の花
    夏は涼みに秋は月 冬は雪観の日比谷あり
53・都の塵を打払ふ 心字の池に大鶴が
    噴出す水に虹映り 木間に蝉の友を呼ぶ
54・見よや中央(なかま)のコートには テニスする人走る人
    或は花園を巡る人 野球(ベースボール)にいさむ人
55・ひとさまざまに思ふ侭 いと楽しげに群遊ぶ
    實(げ)にや冥途(あのよ)に有りといふ 極楽世界もかくなれや
56・折りから起る嚠喨(りゅうりょう)の 響きはこれぞ天楽か
    月は無心に天に澄み 虫は千草に鈴を振る
57・斯くて電車は外濠を 巡り終りて又元の
    乗りにし土地に帰り来ぬ 乗りにし土地に帰り来ぬ